「問診」という言葉を聞いて、皆さんはどのようなイメージをお持ちになるだろうか? かかりつけ医にリラックスして自分の症状を説明する日常を、はたまた病院で専門医の質問に懸命に答えようとする非日常を想起する人もおられよう。いずれにしても、問診というのは答えてくれる人がいなければ成り立たないものである。
私たち医師は、診断の過程の第一段階である問診がいかに大切なものであるかを、医学生の頃から叩き込まれる。そして、そのことが真実であることを、ときに苦い自省の念をもって再確認していく。
ところで、問診に限らず、質問には、「閉じた質問」と「開いた質問」とがあるというのをご存知だろうか?「はい、いいえ」で答えられるような質問や「いつから?どこが?」などの質問は、「閉じた質問」と言われる。「どのように痛みますか?」などというのは「開いた質問」である。
そういえば、診察室に入って医師が最初に口を開くときの常套文句のように思われている「きょうはどうされましたか?」などというのは、まぎれもなく「開いた質問」である。「閉じた質問」は答えやすいが、そればかりでは、患者にとっては尋問を受けているようであるし、医師にとっても得られる情報が少な過ぎて治療方針を誤らせる恐れがある。
一方、「開いた質問」は意外と答えにくい。患者は診察前に質問を想定して、症状を整理しておくなどの準備がいる。また、医師が患者の「開いた答え」ばかりに捉われ過ぎると、診断から遠ざかって他の重要な所見を見逃してしまうこともある。
うまく両者を織りまぜながら質問と答えが交わされていくとき、問診はようやく、医師からの一方向的な働きかけに留まることなく、両方向性のダイアローグ(対話)という共同作業となって、診療の成果へと結実していく。 暫くは新型インフルエンザの流行であわただしい診察室になりますが、限られた時間でも意義のある対話ができるよう、お互いに思いやりをもって臨みたいものです。